「式神」について

 毎年年末に行われている「東京YMCA合唱団第40回記念定期演奏会」のコンサートに今年も参加し、帰りに二人で新橋で食事をしながら近況を報告し合っている中、何からそうなったか解らないが、『識神』の話しになった。
『君が識神について知っているとは思わなかったよ』
と言われたので、今回はこの『識神』について改めて調べてみた。

 広辞苑を開いてみると、『識神』は『式神』『職神』ともいい、陰陽道で、陰陽師の命令に従って、変幻自在に不思議な技をなすという精霊、しきじん、しきの神、しきをいう、とあります。

 式神は陰陽道で陰陽師が使役する鬼神のことで識神(しきじん)ともいいます。 史上有名なのは安倍晴明が使役したと云われる十二神将です。 十二神将とは陰陽師の占術である式占(ちょくせん)にみられる十二天将で、 「占事略決」には十二天将・十二月将として

十二天将…『貴人・騰蛇・朱雀・六合・勾陣・青龍・天空・白虎・大裳・玄武・大陰・天后』
十二月将…『徴明・河魁・従魁・傳送・小吉・勝先・太一・天剛・大衝・功曹・大吉・神后』

が、あげられています。

 これらの呼称については、よく似た呼称が混在しているところに六壬神課の書籍などで十二天将・十二月将の両方を十二神将として表記したり、摂堤・招揺・軒轅なと゛を含む別の十二神を記して十二将・十二月将・十二神が天・地・人に対応するとした書物が出たり非常に紛らわしくなっています。

 薬師如来の眷属である夜叉十二神将を一般に十二神将と呼ぶことが混乱に拍車をかけていますが、夜叉十二神将は後世になって十二支と結びつき、法師陰陽師などが陰陽道に取り入れたりしたようですが、本来は仏教系の存在であり式神とはまったく別物です。

 晴明の使役した式神については式盤の神霊とされることが多く、一般には密教の護法童子や眷属神のような、神仏と人間の中間的な霊的存在と認識されてきたようです。

 式神を霊的な存在であるとしながらももっと低級な(動物霊など)を神と仮託したものだとする考えも根強く現代にも続く身近な信仰である管狐(くだぎつね)や犬神などがその根拠となっています。

 鎌倉時代の随筆「新猿楽記」でも陰陽師は三十六禽を操る、と書かれています。

式神について触れた書物の中には彼らがまるで生き物であるかのような描写もあります こうした記述などを根拠として式神を陰陽師の部下である忍者・隠密であるとする説も少数ではありますが存在しているようです。

 『不動利益縁起』には、妖怪たちを前にして祈祷する安倍晴明と、彼が呼び出した鬼のような姿の式神たちが描かれています。 式神・識神(しきがみ、しきじん)とは、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるものといわれ、式の神ともいわれます。

式神は陰陽師の卓越した能力の象徴でありました。
今昔物語集・宇治拾遺物語では式神は「識」神と記されていることが多いですが、この文字は古代中国では「魂」「精霊」に近い意味を持った言葉です。「使鬼」という表現も見られます。式神は「識神」であり隠された知識を「識る」ことで、意のままにできる霊的存在といえます。

今昔物語集や宇治拾遺物語をはじめとする多くの書物にも記されているように安倍晴明について語る際、 式神のエピソードは欠かせないものです。

今昔物語集に見られる識神は、


 陰陽道の阿部晴明が操った恐るべき呪術
                         今昔物語集巻第二十四第十六話
今は昔の話になります。天文博士阿部晴明という陰陽師がおりました。昔の巨匠に少しも引けを取らない超一流の陰陽師でした。幼い頃から賀茂忠行という大家のもとで、昼も夜も熱心に学んだので、その腕前は完璧であった。

 ところで、この晴明がまだ若かった頃、師の忠行が下京辺りに夜間外出するお供をしたときのことです。晴明は徒歩で師の牛車の後に従っていたが、忠行は車内で熟睡していた。

 ふと、晴明が車の前方を見ると、何とも怖ろしい形相をした鬼どもが、こちらに向かってやってくるではないか。驚いた晴明は、素早く車に走り寄って、忠行を起こして事態を告げた。

 はっと目を覚ました忠行は、鬼の来るのを見るや、隠形の術を用いて、たちまち我が身も従者たちの姿も、鬼たちの目から隠してしまい、無事にその場を切り抜けることができた。

 それからというもの、忠行は晴明をいつも側から離さず、まるで瓶の水を別の容器に移し入れるように、道の奥義を余すところなく伝授した。

 こういしてついに晴明は、陰陽道の世界では、公私にわたり重用されるようになった。


 さて、忠行亡き後のこと、晴明の家は、土御門大路から北、西洞院大路からは東にあったが、ある日、一人の年老いた僧形の陰陽師が訪れた。お供に十歳ほどの子どもを二人連れている。晴明が、
「御坊はどなたかな。どちらからおいでかな」と尋ねると、老僧は、
「それがしは播磨の国の者です。実は、陰陽道を志しておりますが、今やこの道では先生が最高の権威者であると伺いましたので、少々、ご指導いただきたいと存じまして参りました」と答えた。

 その時、晴明は心の中で、
「この法師は、陰陽道では相当な腕前だろう。きっと私の力を試してみようとやってきたに違いない。こいつに、下手に試されて恥をかいたら、まずい。その前に、こっちからちょいといたぶって、試してみようか」
と、つぶやいた。

 そして、「この法師のお供をしている二人の子どもの正体は陰陽師に仕える精霊の識神であろう。もし識神ならば、すぐに隠してしまえ」と念じて、袖の中に両手を入れ、指を組んで呪を生む印を結び、秘かに呪文を唱えた。

 その後で、素知らぬ振りをして、晴明は法師に対して、
「ご用の向きは承知しました。ただ今日は用事があって時間がとれませんので、このままお引き取り願って、後日、改めて日を選んでお出でなさい。習いたいことは全て教えてさしあげましょう」
と返事をした。法師は、
「ああ、ありがたや、ありがたや」
と、手をすり合わせて額に当てて拝み、感謝感激の体で、立ち上がり走り去っていった。

 もう百、二百メートルほど行ったかと思われる頃、この法師が再び舞い戻ってきた。晴明が見ていると、人の隠れていそうな所、車庫なんかを覗き込みながら、晴明のいるところまで戻ると、
「それがしの供をしていた子どもが、二人とも急に姿を消してしまいました。二人を帰していただきたい」と迫った。
「不思議なことを言う御坊よなあ。この晴明が、何で人の供をする子どもを取る必要があるのかい」
と、とぼけると、法師は、
「大先生、おっしゃることはご尤もです。どうか、お許しくだされ」
と哀願したので、晴明は、
「よしよし、あいわかった。御坊が、この私を試そうと、識神を従えてやってきたのが気に入らなかったのだ。他の者には通じようが、この晴明にその手は通じないよ」
と戒めて、袖の中に手を入れて、何か唱えるようにしていたが、しばらくすると、外から子どもが二人走ってきて、法師の前に立った。それを見た法師は、
「実は、先生が大変な権威者であるとお聞きしまして、一つお試ししてみようと思いまして、参った訳なのです。それにしても、識神を使うのは昔から容易いことですが、人の使う識神を隠すのは全く不可能です。それがおできになるとは、何とお見事な、只今から是非ともお弟子にしていただきとう存じます」
と告白するや、その場で弟子が師に送る名府を書いて、晴明に差し出した。


 また、あるとき、晴明が広沢の寛朝僧正のお住まいに伺って、あれこれ相談していたところ、側にいた若い貴族や僧たちが晴明に話しかけてきた。
「あなたは識神をお使いになるそうですが、即座に人を殺すことがおできになりますか」
と尋ねた。晴明は、
「陰陽道の秘事を随分明け透けにお尋ねになりますなあ」
と苦笑しながら、
「そう簡単には殺せませんが、少し念力を込めさえすれば、必ず殺せます。虫などでしたら、ほんの一捻りで必ず殺せますが、生き返らせる方法を知らないため、殺生の罪を犯すことになりますから、無益なことです」
などと答えた。
 ちょうどその時、庭先を蛙が五、六匹、池の方へ飛び跳ねていった。それを見た貴族の若者が、
「では、あれを一匹殺して見せてください。あなたの力を試してみたい」
と頼み込んだところ、晴明は、
「罪作りなお方だなあ。ですが、お試しになりたいのであれば」
と言って草の葉を摘み取り、呪文を唱えて蛙の方へ投げやった。すると、投げた葉が蛙の上に乗った途端、蛙はぺしゃんこに潰れて死んでしまった。これを見た僧たちは、真っ青になって震えあがった。


 この晴明は、家人がいないときは識神を使ったのだろうか、人の気配もないのに、雨戸の開閉がひとりでにおこなわれた。また、門を閉める人がいないのに、閉まっていることがあった。何かにつけ、常識では説明のつかない不思議な現象が多く見られた、と伝えられている。

 晴明の子孫は、今も朝廷に仕え重く用いられている。土御門の屋敷も代々受け継がれて伝えられている。晴明の子孫のもとでは、ごく最近まで識神を使う声が聞こえていたという。

 そんなわけで、晴明はやはり並の陰陽師ではなかった、と語り伝えられてきたのだ。 


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